去年たまたま図書館で「私を離さないで」を見つけ、読んだ。
終始暗く救いようのない話に、読んだ後すっかり落ち込んでしまった。主人公たちがいた臓器移植の提供者を育てるファームが必要な未来なんて、クソ以外の何物でもない。臓器移植しなければいけない病気が蔓延しているのなら、なぜそのような環境を変えようとしないで(原発とか汚染とかですかね?)誰かの犠牲の上に成り立つ臓器移植という方法に依存するのだろう。でも子供や親など家族がそうなったら??わからない。どんな方法を取っても生きてほしいと願うだろう。
でも「私を離さないで」で私が落ち込んだのは、いくらなんでもフィクションだろう感の強い臓器移植ファームの存在する未来ではなく、現実に自分たちがしている肉食について考えてしまったことにある。
もちろん肉食をせずには生きてこれなかった地域があり、動物愛護団体の正体やそのプロパガンダに踊らされ、人々から自分たちの食料を自分たちで調達するという自然な屠畜という行為を取り上げ、生きること全てをコントロールされる、それを避けるためには一定の地消地産の肉食文化は絶やしてはいけない、と強く思う。くじらを食べることもしかり。何をどう食べるかはその土地に生まれ落ちた人々の体質と文化によるのだ。まあそれはさておいて。
これらのことを理解してはいても、「私を離さないで」を読むと、誰かの命を奪って生きている自分と、奪われていく生へのどうしようもない悲しみで心がいっぱいになってしまう。主人公たちの圧倒的な感情のリアリティは私たちのそれと寸分違わない。
小説では、介護人キャシーが振り返るヘールシャムという学校はどこか変で、「臓器移植のために育てられた若者のーー」みたいにいきなりネタバレされなければ、とてもミステリアスでいったいここはなんなんだろうと一気に引き込まれ読んでしまう。変えようのない運命を知った後も淡々と、でも最後まで愛を持って終わりを受け入れる姿勢は日本人そのものだ。欧米人なら最後まで戦うストーリーになりそうなのに、そこは作者が日本人だからなのか。
映画は酷評されてるけど、私は映画も好き。映画は手術台に乗せられた男性が、介護人をじっと見つめるシーンから始まる。その意味は最後にわかる。そしてそれがすべて。成人したトミーが、最後の臓器を移植するとき主人公のキャシーを見つめているのだが、その眼差し。それがずっとずっとこころから離れない。
そして音楽!!全編を通してストリングスが美しい、陰鬱で悲しく、でも時に一陣の風のように希望が頬をかすめ消えていく、そんな「The Pier」。それからどうしてもどうしても欲しかった曲、幼いキャシーが誰もいない教室でその曲にあわせて踊る姿。校長先生(?この人もキーマンだよ!)がヘールシャムの存在を世の中に問う決心をさせたシーンだ。そしてそれがキャシーがトミーにどうしても渡したくてでもできなかったオールディーズのナンバー、「Never Let Me Go」!からみつくようなセクシーな声で”Darlin, hold me~”と歌う切ない切ない曲。これで泣いてしまった。映画を観た後サントラを買って手に入れた。そして何度か泣いた。
映画の中にのみ存在する架空の曲なんだけどね。

 

 

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