facebookをやり始めた頃からのお友達だった、チャーリー・フィリップスの個展をアメ村のマニアなカフェ、アナムネさんに見に行って来たよ。

チャーリーのアートはそのブレないコンセプトの通り、残酷で血と痛みに彩られた迫力のある重厚なオイルペインティングだった。実はとても感動している…。

 

チャーリーとはfacebook初期の頃よくアートについて議論を交わした。骨や中身が見えていて血塗られた表現に耐えられず、「闇を見つめるものは闇に持って行かれる。闇もまた自分を見つけて連れて行こうとするんだよ。(by酒鬼薔薇)私はいつも物事の明るい面を見ていたいし色彩もHeavenlyなものが好き。だからあなたの考え方やアートとは相容れないな。」といつも言っていた。そうするといつも「なぜだよ。闇や痛みや死こそが実は最も美しい芸術なんだよ。」と言って譲らない。あ、こいつほんまヤバイな、サイコキラーなんじゃね?などど思ったり。実際2010年頃はマリリンマンソンみたいなルックス(マリリン・マンソンは私が最も好きで尊敬する人の1人)で、見るからにヤバげだった。お人形作りの友達はもっとやばい人はいっぱいいるんだけど、ここまで真剣にアートワークに昇華している人は稀。

とくに子供ができてからはいたづらに命を軽んじているような作風は避けるようになった。大好きだったホラーやバイオレンスものも見なくなった。なのでチャーリーの写真やペインティングも見ないようにしていたり。友達なのに。ごめんね。
でも才能あるんだよね。。。くやしいけれど。

まだ28歳くらいなのに人生いろいろあったみたいで、でもずっと一貫して同じテーマで芸術を続けているのはすごいな、あ、大阪に来るんだね、じゃ見に行くねって軽い気持ちで昨日見に行ってきた。

チャーリーは在廊していて、たくさんのお客さんが来てたなかいっぱいしゃべって楽しかった。チャーリーの考えたメニューの「黒い死」というカレービラフと「腐った心臓」というカフェラテ(?)も美味しくいただきました。

さて、肝心のチャーリーのアートですけれど、

美しい。

心に迫るものがある。

Narrative。

・・・

そしてまた昔と同じ議論を繰り返すのだけれど、

血塗られたアートは嫌だよ、みたいな

でもわかった。チャーリーの一つの絵を見て。

ザクロのような果物が人間の器官とミックスされたペインティング。

チャーリーは言う。

「果物と人間って一緒なんだよ。果物って外見も美しくて、皮をむいてもまだ美しくみずみずしく美味しくて芳しい、、、」「花も果物も人間も一緒で皮をむいて中身も美しいんだよ。(グロ)」友人植村氏、はげしく共感。

「花は美しいけれど、腐って枯れるよ。それも美しい?」

「美しいよ。違った美しさであるだけで、枯れたものも死んだものも年老いたものもいとおしくて美しいよ」

それで1週間前に観た「アメリカン・ビューティー」を思い出した。

登場人物の一人の男の子は、主人公の高校生の娘をずっとビデオで(本人の許可なく)撮っている謎めいた奴。しかも彼の所有するビデオには死んだ小鳥や小動物、意味なく宙を舞うビニール袋。当然サイコ野郎だと当初思われていた。けれども、最後に彼はサイコパスではなく、死ぬ瞬間やむなしく風に舞うビニール袋(一番感動したそうだ…)の無常観の中にも美や喜びを見出せる人だったのだ。

枯れたものも朽ちたものも美しい。美はすべてのものに存在するがそれを見つけることができる人は少ない。

ということを思い出して(実はアメリカン・ビューティーでも泣いてしまったのだが)もしかしてそういう稀有な人間が他にもいるのか、と涙ぐみそうになった。

実際チャーリーは、(やっぱり本当は本性を隠していてクソ野郎なのかもしれないが)ものすごく物静かで繊細で純粋に(見えた)。あれ、昔とちゃうやん?

彼の本性はなんであれ、彼のアートは物語っているのでそれ以上はどうでもいい。

ペインティングは、中世のようにどこまでもダークで陰鬱で寂しげで苦悩をたたえていて、美しい。

チャーリーのアート。SNSでもどこでも載せていいとのこと。

さて、チャーリーは素敵なカフェラテメニューも用意してくれてたよ。

私は「黒い死」というカレーと「腐った心臓」という甘〜いカフェラテをいただきました。

チャーリーのナイスなコンセプチュアルメニューもさることながら、こんなに手の込んだ美味しいスィーツを作りなさる、アナムネさんの美人のおねいさんにも感動したよ。

楽しすぎるアナムネさんでくつろぐ私達。

Tシャツをゲットした。XLだと!?

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